ちい。の日常

「人生に同じ1日は二度とない」 何でもない尊いわたしの日常、心が動いた瞬間を書きとめておこうとおもいます。

温かい優しさ

幸せな瞬間に出逢えたから、ここに書き留めよう。

私は、仕事の休憩中にドラックストアにお水を1本買いに行った。

お昼時だからか、かなりレジに行列ができていて、私が最後尾だった。

私の前に並んでいたおじさんは、カゴが2つパンパンになるほど、カゴには商品が詰まっていた。

ようやくそのおじさんの番がまわってきた時、そっと私の方を振り向いて「どうぞ~」と言ってくれた。

一瞬その場の状況が分からず、自分の中で時が止まった。

おじさんは自分のお会計に時間がかかるからと思い、私に順番を譲ってくれた。

おじさんの親切が胸に沁みて、一気に心がホカホカになった。

午前中、少し苛立っていた私のこころを癒してくれて、自分の苛立ちなんて本当にどうでも良くなった。

あの状況で、私がおじさんの立場だった時、私はきっと自分のことだけしか見えておらず、順番を譲れなかったと思う。

人の優しさや気遣いに触れた時、救われる人が沢山いて、その後相手の人生まで変えられると思うと、自分の言動を振りかえる。

おじさんから沢山学ぶことができた。

出逢えたことに感謝。

ありがとうございました。

自分も知らない誰かにお返しをしよう。

ちい。

幸せな瞬間

今さっき、幸せな瞬間に出逢えた。

忘れたくないから、書き留めておく。

ショッピングモールの

下りエスカレーターのランディングプレートに、

ちょっとした列ができていた。

私はその列の前から5番目くらいに並んでた。

1番前にいたのは、杖をついた足の不自由なおじいさん。

エスカレーターへ足を踏み入れるのを躊躇っていた。

確かに、足の不自由な人からすれば、

エスカレーターって速いから怖いよな。

列の後ろの方に並んでた人は、前の状況が見えないからか、

「おそいなー」「何してんの?」

みたいな声をとばしていた。

心の声みたいな微かな声が聞こえた。

まぁ、人の流れを止めてしまっていたのは間違いないけど。

その時に、3番目くらいに並んでたおじさんが、

おじいさんに手を差し伸べた。

エスカレーターにスムーズに一歩を踏み出せるように。

その光景を後ろから見ていて、

心がホッカイロみたいにポカポカになった。

私はあの瞬間、ただただその光景を見ていただけ。

さすがに野次をとばすことはないけど、

「まだかなぁ…」って内心思ってた。

自分のことしか考えていなかった。

野次をとばすことも、ただ呆然と見てることも、

それは本当に本当に簡単なことだけれど、

全く解決には至らない。

あのおじさんのやり方があの状況下のなかで、

私は正しい判断だと思った。

人の行動を見て、学ぶことって本当に多い。

むしろ学ぶことしかない。

それはポジティブな言動、ネガティブな言動、どちらも。

最高は、最低を見てないと、わからないし。

あぁ、幸せな瞬間に出逢えて良かった。

感謝。

ちい。

会社のありがたみ

今日も事務所でひたすら技術練習。

皆は現場に行っており、誰もいない。

9:00から18:00までひたすら、同じ場所に座って、黙々と目の前のことに向き合う。

凍えるほど寒くて、事務所は薄暗くて、結構寂しいから、時間が過ぎるのが遅く感じる。

寂しさを紛らわせて、人の気配を少しでも感じていたいから、私の隣でvoicyに喋りかけてもらっている。

そのおかげで、夜になっても、安心して集中して作業ができる。

有り難い。

現在私は、フリーランスとアルバイトを掛け持ちしながら働いている。

そんな中思うことは、会社っていいな。ってこと。

失敗したり、できないことがあっても、フィードバックをくれる。

そして叱ってくれる。

自主練習でもお給料が支払われる。

時間内に終わらなくても、残業代が支払われる。

大量の道具を買わなくても、貸してくれる。

ミスをしても、責任をとってくれる。

社会人としてのマナーを教えてくれる。

毎日仕事を与えてくれる。

まだまだ沢山あるけど、書き出すと沢山与えられていることに気がつく。

フリーランスは自分自身で1から管理して、やらなければならない。

だからはじめのうちは、会社に所属しておく方がいいなと、特に技術職に就いている身としては感じる。

今の環境に感謝して、早く会社や社会にも還元できる一人前になりたいな。

ちい。

今ある日常へ感謝する

昨日、「【大切な人】両親を亡くした25歳」という動画を見た。

動画投稿者の名前は、「両親のいない生活」さん。

このかたのお母様は10年間もの闘病生活を経て、6年前に乳癌で亡くなっており、お父様は3年前に自死されている、とのことだった。

私のパパも、2回脳梗塞を患い、数年間闘病生活をおくっていたことがある。

この動画を見て、ふとその時の状況や心境を思い出した。

あの頃、ママも私も今までおくっていた日常とは一変し、どんどん生活リズムは狂っていった。

そして、気苦労、ストレス、疲労、多忙などが原因で、ママの身体も病気に侵食されていった。

数年間の月日を経ても、両親共に未だ完治はしておらず、身体の中に時限爆弾を抱えている状態なので、私の中ではずっと闘病生活を続けているようなイメージだ。

でもこのかたのお母様は、実際に10年間闘病生活をおくっていたということは、その期間ずっと、今までの日常からはかけ離れた日常を生きていたことになる。

それを受け入れることすら難しいのに、終わりの見えない物理的な苦しい痛みとも闘い、耐えなければならない。

想像を絶するこの状況に、私の目には今、涙が溜まっている。

10年以上、いや今もかもしれないが、このかたもお父様も辛さのあまり生きた心地がしなかったんじゃないかな。

お父様は、一家の大黒柱として、教育費、生活費、病院代など、確実に稼いでこなくてはならない。

それに加え、家事、教育、看病などが入ってくる。

奥様の為に、今後についての治療方針を医者と相談したり、着替えを届けたり、仕事が終わってから夜な夜な癌についての勉強をしたり…私の想像でしかないけれど、きっとこんな事をしていたのではないかな。

まだまだ見えないものが沢山あったと思う。

これらは、どれもやってもやらなくてもどちらでも良いことではなくて、全て優先順位をつけられないくらい大切で、必ずやらなければならないこと。

ひとりで消化していくには、抱える負担が多すぎる。

控えめに言っても、私だったら絶対無理。

「家族の為だけに、月△△円は必ず稼がなければならない」と、「自分の為に月△△円くらい稼げればいいかな」はそれだけで精神的負担が天と地ほど違うと思う。

会社員だろうとフリーランスだろうと、社会にでて仕事をしているのだから、誰しもストレスは抱えているはず。

もし、転職したい、新たな事に挑戦してみたい、という願望がお父様自身にあったとしても、この状況下では中々厳しそう。

心身共にヘトヘトになっていれば、家事、教育、子供とコミュニケーションを関係性を築いていくことも、中々難しそう。

そうだとしたら、子供との関係性も良くなかったかもしれない。

やるべきことは多いのに、やってもやっても終わらず、次々に色んなものが押し寄せてきて、同時に奥様の死期も迫ってくる。

きっと、不安と恐怖に飲み込まれそうになりながらも、家族の為に必死に必死に独りもがいていたのではないかな。

誰にも相談できず、ここで今自分が倒れてしまったらお終いだという状況下の中、よく持ちこたえていたと思う。

見ず知らずの私でさえ「本当によく頑張ってきたのですね、お疲れ様でした、何も考えずゆっくり休んでください。」と声をかけたい。

健康や家族との時間は決して当たり前なものではなく、有限なものだということに改めて気づいた。

私は、感謝の気持ちと同時に、いつか大切な人を失う恐怖が日に日に増していく。

大切な人がいればいるほど、その人を失った時の喪失感は大きい。

自分が喪失感を感じるということは、逆に大切な相手にもその感情を抱かせてしまうことがあるかもしれない。

それはそれで大切な相手を悲しませてしまうことになるから、申し訳なく感じる。

だから私は大切な人を増やしたくない。

今も充分幸せを感じながら生きているから、それ以上は求めないし、求めたら何故か罰が当たるような気がしてしまう。

両親を含めた家族、友人、一緒に働いてる仲間、この人たちのおかげで、今も私は幸せに生きることができている。

新たな繋がりは増やすことばかりに着目せず、今身近にいる大好きな人たちを、時間の許す限り大切にしていこう。

「両親のいない生活」さん

私に考える機会を与えてくれて、ありがとうございました。

皆さんも是非一度見てみて下さい。

ちい。

https://youtu.be/cdzS8fLP7KY

 

独りは苦しい

仕事の同僚が無断欠勤をした。

なんとなく、もう会社には来ないだろう。

そんな予感がする。

結果、今日は会社に一人だった。

ここで気がついたことがある。

一緒の時期に入社して、一緒に練習してきた人が居なくなるのは、意外と寂しいなということ。

一人と二人とでは違うということ。

些細な会話ができたり、出来ること出来ないことをお互いに共有できたり。

人(知り合い)の気配って思っている以上にモチベーションなど心の安心材料になっていることに気がついた。

私は一人は好きだけど、独りは苦しい。

今日は何だか独りの気分だった。

明日も自分との戦い。

今日の自分よりも少しでも前に進みますように。

ちい。

人は皆自分の世界で生きている

昨日は仕事帰り、同僚に車で最寄り駅まで送ってもらった。

寒い季節は特にその有難みが増す、有難う。

まだその同僚には数回しか会ったことはないのだけれど、今日はその人について、少し語ろうと思う。

先に付け加えておくけれど、私は嫌いな人はいない。

ただ自分とは合わなかっただけ。

その人は、かなりの他責人間だと思っている。

きっと些細なことから全てを他人のせいにして生きているんだなと、言動の節々で見られる。

でも見た目は、真面目そうで、気遣いもできるし、第一印象はそれなりに良かった。

口癖は「まぁね、でもさ、、」「分かんない」「できなり」「無理」

ネガティブな発言の多さが、初めて会った時から気になっていた。

あとは、人を見た目や少し話しただけで、「この人は優しい」「この人は変わってる」と決めつけている問題。

なぜそのように考えてしまうかが疑問で、その人の思考回路が気になったからこそ、話を聞いていたけれど、表面的な部分での判断しかしていないということが結論。

ざっくりいうと、自分と同じ価値観を持って生きている人=良い人&優しい人、自分とは異なる価値観を持って生きている人=悪い人&変わってる人、みたいな感じだ。

自発的に学ぼうという姿勢はなく、1から10まで全て相手から教えてほしいし、そのアプローチを黙って待ち続けている。

ちょっといくら何でも相手に期待し過ぎで、求め過ぎだなと思ってしまった。

あともうひとつ。

他人の目線を気にし過ぎ問題。

自分の意見と相手の意見が違った場合、相手に自分の意見をどんな形にせよ伝えた方が良いし、逆に相手も私に伝えてもらいたい。

こんな意見を持つ人が世間にはいるんだ、ということを知ることができるし、自分を知ってもらうきっかけにもなる。

他人と意見が違うことなんて当たり前で、それを伝えるだけで争いになることはないと思っている。

そうなってしまったとしたら、感情表現、伝え方、言葉の選び方などに問題があるだけ。

争いを避ける為に、相手に何も言わず、合わせているだけというのは、自分の感情を殺す無責任な態度な気がする。

もっと他人ではなく、自分に焦点を置けるといいのになと思った。

でも結局これは全て私の考えで価値観なんだよな。

相手にも、何十年間も様々な環境や経験を経て、自分の感情にもがいて、築き上げてきた人生がある。

そんな相手に、私の考えや価値観はコレだ!と一生懸命伝えたところで、押し付けにしかならない気がする。

人間っていう動物って難しい。

ちい。

油断大敵

今日、AM5:00前に目が覚めた。

いつも私の起きる時間は、仕事がある日はAM7:00ごろ、休日はAM8:00ごろ。

眠りは深い方だから、その前に起きることはほとんどない。

今日目覚めた理由は、蚊の鳴き声がしたから。

自分の体を触って、すかさず確認していると、顔4箇所、腕2箇所、痒くはないけれどバッチリ腫れている。

あー最悪だ。

私は世界一蚊が嫌いで、蚊に刺されるとめちゃくちゃ腫れてしまう。

幼いころ、腫れが酷すぎて病院に行ったら、医者から、もう少し来院が遅かったらリンパまで毒が回って最悪の事態になっていた、と言われたこともある。

肌が弱すぎて、ムヒも塗れない、ムヒの副作用に襲われて大変なことになるから。

だから私は極端に蚊が嫌いで、常に奴らを睨んみながら暮らしている。

夏場は、空間蚊除けスプレーと身体用の蚊除けスプレーをどちらもして眠りにつくから、眠っている間に刺されたことは殆どない。

でも、この季節にして、ヤラれた。

しまった。。

でもここから良い事が学べた。

油断大敵。

忘れかけていたけれど、生活する上で大切な掟だ。

これからは冬場も蚊除けグッズは持ち歩くことにしよう。

ちい。