結局、愛してる
両親とは、目のつけ所、もののみえかた、整理のしかた、伝えかた、受けとめかた、そりゃもう何もかも違う。
何もかも違うからこそ、沢山ぶつかり、悩む。
本当に何故だか分からないほど、毎日のようにぶつかるのだ。
私は、平日は仕事をしているから、関わる物理的な時間は少ないはずなのに。
ぶつかる度に、両親のことも、自分のことも、もちろんおもいっきり嫌になるし、頭も心も痛くて、痛くて仕方なくなる。
殴ってもいいなら、殴りたいよ。
ボクシングは、人を殴ることを許容されたリングの上であれば、殴ってなんぼなんだよな。
実際に殴ることで、自然と解消されていることってありそうだなと、少し羨ましかったりもする。
そんな私は、しっかりとダメージを喰らって、体がふらついたり、パニックをも引き起こすことがあるんだ。
私が伝えたい一番のポイントだけでいいから、両親に伝わるように、現時点での精一杯で伝えたつもりが、何一つ伝わってないなと感じた時。
そして、誤解されたくない方向に解釈され、話が脱線し、収拾がつかなくなった時。
少しだけでも分かり合いたかったと願い、もうどうすることもできないのかと諦める、あの瞬間。
現実と切望の乖離に、パニックの症状は巻き起こる。
両親に対して、愛されたい、分かって欲しいという強い執着心があり、それを断てないことが、問題だろう。
それさえ断てれば、どれだけ軽くなるだろうか。
もう懲り懲りだよって。
もう二度と関わりたくないって。
そうやって、毎度強く思うのに、私ってずっと同じことを繰り返す。
両親から逃げたい。
そう思ってるはずじゃん。
でも私には、逃げない明確な理由があるんだ。
両親を、自分なんかよりずっとずっと愛してるから。
どんなことをされようが、言われようが、そんなことは関係ない。
私が、ふたりを、心から大好きなのだ。
勝手に大好きなのだ。
今まで守ってきてもらったぶん、守りたいのだ。
昨日も今日もぶつかったのに、こうやって日記を書いていると、いつの間にかこの結論にたどり着く。
でも書かずに、そのモヤモヤをネグレストしたら、どこかで違う結論にたどり着きそうで恐ろしい。
今、愛してるって本心で思えてる。
まだ私ちゃんと人間だ。
よかった。
ちい。